繰り返しドアがノックされ、チャーリーは何事かと思いドアを開ける。
「はいはい、今開けるさかい・・・、ってアリオスさん」
ドアを叩いていたのが、あのアリオスだと知り、チャーリーは度肝を抜かれた。
まさか、調べられるばかりの彼が、調べる側に回るとは、いったい何が起こったというのだろうか。
「探偵か?」
「そうでっけど、今日はご依頼ですか? アリオスさん」
何度か自分の名前を言われて、彼は怪訝な顔をする。
「どうして俺の名前を知っている?」
「そりゃあ、今まで、アリオスさんをメシの種に何度もさせてもらってるんで」
チャーリーは、したり顔で笑った。
「そうか・・・イテッ」
頭に鈍痛が走り、アリオスは思わず顔を顰め、頭を抑える。
「どうかしはったん?」
「ああ。二日酔いで・・・」
「じゃあ、アスピリンでも持ってきまっさ。そこのソファにでも座っておいてください」
「ああ」
アリオスはぐったりとソファに腰掛け、視線が焦点を失って、迷子になった子供のような頼りなさがある。
乱した髪をかきあげながら目を閉じる姿は、艶やかで、男のチャーリーでもくらくらきてしまう。
アリオスを見ながら、誰があの彼をこんな風にしてしまったのかと、チャーリーは好奇心が沸き踊る。
「しっかし、ああやって乱れた姿もめっさオトコマエやな〜。アンジェリークには目の毒や。見せんとこ」
チャーリーはこそこそと住居部分に入ってゆき、アンジェリークに彼を見せないように、ドアもそっとあける。
それが既に無駄な努力であることを、この時のチャーリーは知らなかった。
「アンジェ、アスピリンはどこにあんねん」
「えっと、リヴィングの棚の中の救急箱」
アンジェリークは洗面所で髪を洗っていた。もちろん、今日もアリオスに会うために。
まさか薄いドア一枚を隔てた向こうに彼がいるとは、夢にも思わない。
「サンキュ。見つかったわ」
アスピリンの瓶を手にとって、ブンブン振りながら、事務所に向かうところで、チャーリーは髪を洗うアンジェリークに目を留めた。
「何や、また髪洗ってんのか?」
「うん・・・、気持ちいいから」
「あ、そ」
チャーリーの私立探偵としてのカン(人によっては野生のカンとも言う)が、めまぐるしく働く。
アンジェ、おまえ、ごっつい恋をしてるんやないか?
「すんません、お待たせしました」
先ほどと同じように、住居部分のドアを静かに開けて、事務所へとチャーリーは入っていった。もちろん、アンジェリークに彼の存在を気づかせないために、あくまでそっとだ。
「いくついりまっか?」
「15!!」
アリオスの苛立たしげな低い声がぴしゃりと響く
「へ? アスピリンが?」
アスピリンを15も飲むとはと、チャーリーは思わず目をむいた。
「----すまねえ、彼女の男性遍歴の数。アスピリンは2錠」
チャーリーはほっとして、アリオスにアスピリン2錠と水を手渡した。
「すまねえな」
受け取って、アリオスは水と一緒にアスピリンを胃の中に流し込み、フッと息をつく。
「では、どのようなご依頼です?」
「名前もわからんし、それこそ住んでる場所も判らねえ」
「それは困りましたな」
チャーリーは、好奇心で目がらんらんと輝いてくる。こういったところは、兄妹よく似ている。
「毎日、リッツのスウィート14に、午後3時にやってきて、午後6時には帰ってゆく。そこを着けてもらって、彼女の素性を確認して欲しい」
アリオスの不思議な瞳は真摯に輝き、チャーリーを射る。
「判りました。で、その他の情報は?」
「イニシャルがAだ。不思議な娘で、他の男からは物を受け取ってるらしいが、俺からは、一切受け取らねえ。外見は、可愛らしくて、純情そうに見える。しかし、男性経験が豊富で、15人もの男と経験がある」
「15!!」
チャーリーも思わず身を躍らせる。
「なんでも、どっかの公爵と関係があったとき、アルプスの山でアルペンガイドと恋に落ちたとか」
「公爵に、アルペンガイド? なんやどっかで聞いた事があるはなしやなぁ」
チャーリーは首をかしげ、アリオスの話に耳を傾ける。
「なんだか、貿易商とも付き合っていて、白テンを貰ったとか?」
「白テン!!」
「何だ、俺の言うことにイチイチ反応しやがるな?」
「いやあね、なんかその人に逢うたことあるような気がして」
チャーリーは立ち上がると、事件簿のある引出しに向かい、事件簿を調べ始めた。
「後は、そう、闘牛士からの情熱的な手紙と、足につける何だ・・」
「アンクレット!」
間髪入れずににチャーリーは応える。
「そう、それを貰ったとか何とか言ってたっけな」
「なんかそれ、うちの事件簿を総ざらいしたような・・・あ!」
ひとつの事実にたどり着き、チャーリーの顔は瞬時に険しくなる。
まさか・・・。
「あの、ひょっとして白テンを着てきたことが一回ありませんでしたか?」
「ああ」
アリオスはしっかりと頷く。
「アンクレットをしてきたことは?」
「あった」
チャーリーは眩暈を感じる。彼は心を落ち着けるために、深く深呼吸して最後の質問に備えた。これでアリオスが"イエス”と言えば決まりだ。チャーリーの考えを肯定することになる。
「----あんさんから彼女が受け取ったのは、白いカーネーションの花だけじゃ」
チャーリーの質問に、アリオスは感心したように彼に視線を送った。
「流石、名探偵。その通りだ」
チャーリーの頭の中で、総てのパズルが今填まった。
兄としてこれは衝撃に他ならなかった。大切に慈しんできた妹が、よりによってこのプレイボーイの想い人だとは。
そう考えれば、アンジェリークの最近の行動とつじつまが合う。
傷つける前に何とかしたい。それが兄の願いだった。
「----判りました。3時にそちらに覗います」
「頼んだぜ?」
アリオスは立ち上がると、チャーリーに握手を求め、二人は硬く握手をした。
「あの」
帰り間際チャーリーに呼び止められ、アリオスは振り向く。
「その彼女の素性を知って、どうしはりますのや?」
「滞在を伸ばそうとは想っている」
「そうでっか、どうもありがとうございました」
チャーリーは頭を下げ、静かにドアを閉めると、大きな溜め息を吐いた。
「調査なら、タイプを打ったら完了や」
寂しそうに、切なそうに呟くと、 机に向かい、アリオスへの報告書を打ち始めた----
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アンジェリークが来る1時間も前に、ホテルリッツのスウィート14のドアがノックされ、アリオスはセキュリティ・ウィンドウ越しに相手を確認し、迎え入れた。
「随分、早かったじゃねーか」
「調査が完了したので」
「随分はやかったじゃねーか、まあ、入ってくれ」
「どうも」
チャーリーは静かに部屋に入り、アリオスに一礼をした。
「結果から言いますわ。名前はアンジェリーク・コレット」
「あっ、だから”A”なのか」
「住所は、セーヌ川左岸で兄と暮らしてます。現在17歳で、コンセルバトワールでチェロを学んでます」
チャーリーは、そこで言葉を切ると、真摯で憂いのある視線をアリオスに向けた。
「----男性経験は、あなただけです」
「は・・・、じゃあ、今までのことは嘘だったと・・・」
アリオスの顔がどんどん嬉しそうに輝き、彼は喉を鳴らして笑い出した。
「クッ!! この俺がまんまと騙されたとは! まあいい、俺以外の男と何もなかったと判れば、それでいい!!」
愉快そうなアリオスを尻目に、チャーリーは寂しそうなやりきれない微笑を浮かべた。
「でもどうして、こんなに早く判ったんだ」
「----17年間、あの子を見守ってた兄やさかいな・・・」
「なんだって・・・!」
それはアリオスにとって衝撃だった。よりによって、アンジェリークの兄に調査を依頼していたとは。
先ほどの嬉しそうな表情から一転して、アリオスの表情が苦悩で煙る。
「あのこのことをホンマに想ってくれてはったら、深い傷を負う前に、このパリから去ってくれへんやろか? あのこはホンマにあんさんのこと好きやさかい、どこまででもしがみついてきよるで。あんさん、そんなん苦手やろ?」
アリオスは、アンジェリークのために、そしてこの少女の兄の気持ちを汲んでやる決心をした。
本当は、決して離したくない相手だが。
アリオスは、ゆっくりと頷き、チャーリーに承諾の意思を伝えた。
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アンジェリークは何も知らず、いつものように柱の影にチェロケースを置いた後、スウィート14のドアをノックし、アリオスが静かにドアを開ける。
「こんにちは、アリオス!!」
「ああ。おまえに伝えなきゃならねえことが出来てな」
中に招き入れられて、アンジェリークは怪訝そうに首をかしげた。
いつもいるはずのジプシー楽団がいない・・・。
「あれ、ジプシーたちは・・・」
言いかけて息を呑む。
部屋はすっかり片付けられ、彼の荷物がまとめられていた。
「これ・・・、どうして・・・」
アンジェリークは蒼ざめた顔をアリオスに向け、潤んだ瞳で彼を見た。
総てを知ってしまった今では、この瞳が何よりも愛しく、そして汚したくないことに、アリオスは気づく。
「仕事が急に入って、ニースに行くことになった。今からじゃ飛行機が取れなかったから、電車で行くことにした。4時出発」
「・・・そんな・・・」
彼女が肩を震わせて俯いているのを見、アリオスは力いっぱい抱きしめてやりたい衝動に駆られた。
「短い間だったが、楽しかった。サンキュ」
最後の抱擁とばかりにアリオスは軽く彼女を抱くと、その頬にキスをした。
「あ・・・」
優しく離され、アンジェリークは泣きそうになる。
「ね、駅まで送っていい?」
可愛らしい彼女の小さな願いに、アリオスはそっと頷いた。
二人がスウィート14をでてすぐ、チャーリーは、柱の影に置いてあったアンジェリークのチェロケースを抱えて、彼らの後を追った。